1.17
2012.01.17
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阪神淡路大震災から17年
神戸から電車で30分の地に住んでいた私は
テレビに映る燃え広がる炎が神戸だとは夢にも思いませんでした
連絡の取れない親戚を探しに 夜中に自転車で神戸に向かった父
車など通れない瓦礫の山を自転車を担ぎ
一晩かけて辿り着いたのは変わり果てた神戸でした
やっとの思いで見つけた避難所にいた親戚は 父の顔を見て言ったそうです
生きているのは奇跡
被災された方、その家族、友人、テレビをみている全ての人が
もう二度とこんな事が起こらないようにと
そう願っていたはずなのに
東日本大震災でまた大きな大きな悲しみがうまれました
どうか、どうかこれ以上悲しい事が起こりませんように
ご遺族の方々の健康と 一日も早い復興を 心より願っております
二木 幸子