仏教をよりよく知るため:その7
仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか
キーワード:解脱(げだつ)
何ものにもしばられずに、自由な境地にはいること、涅槃(炎の消えた状態、悟り)と同一視されている。サンスクリット語のヴィモークシャの訳である。
この解脱の考え方は、仏教以前からインドの思想界で普及していたもので、インドでは一般に人生の究極的な理想目標をこの解脱においている。
解脱という字は解くという語と脱皮するという字の合体である。「抜け殻」になるのでなく、心を広く持って、よりよい人生確立のため励んでゆくことである。
キーワード:業(ごう)
「ごうつくばり」というように、業ということばに対するイメージはあまりよくない。「業を煮やす」「業が湧く」「業に沈む」「非業の死」「業が深い」というように悪い意味で使われることが多い。
サンスクリット語のカルマンの訳語である。もともと行為のことで、因果の道理によって善悪・苦楽の果報を受けるというのが仏教およびインドの各宗教の思想である。
仏教の開祖の釈迦のところへ、ある日、一人の男が訪ねてきて質問した。「バラモン僧は祈祷すれば、死者を天界に生まれさせることができるというが、お前にも、それができるか」と。釈尊はそれに対して、こう答えたといいます。「大きな石を池に投げて、(石よ浮かべ)と祈れば石は浮くか」 「いいえ、沈みます」 「それでは油を池に流して(油よ沈め)と祈ったらどうか」 「油は沈みません」 「そのとうりだ。このように、生前の行いによって死後の生まれるところがきまるのだ。
これが自業自得の考え方であって、よくも悪くも業は行為ということだ。
私たちの日常生活にあてはめて考えれば、業というのは習慣力でもある。いつも、家の中で乱暴なことば使いをしていれば、大事な会議のときなどにもとっさに汚いことばがでてきてしまう。
タバコや酒やギャンブルもそうだ。習慣がやめられなくしているのである。
逆に、常に自分はこういう人間でありたいと理想を持って言動していると、いつか、それが身についてくる。
四十歳を過ぎたら、自分の顔は自分の責任だというのも、それまで、その人がどんな日常生活を送ってきたか、つまり、どんな業を積んできたかが、あらわれるからである。
業をまるで宿命論のように解釈する人があるが、それは仏教の教えではない。業とは、自分の言動は自分で責任をとることになるのですよ。だから、一日一日をおろそかに生きないように、よい習慣をつけるようにしなさい、という教えである。
2010.6.17 東松山店 杉田
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