仏教をよりよく知るため:その2
仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか
キーワード:回向
回向はサンスクリット語のパリナーマの訳で、「あまねく振り向ける」という意味である。
仏教では、自分の行う善行・功徳を他人に振り向けよい結果をもたらすことをいう。死者のために読経をしたり、念仏を唱えたりすることを回向というのは、仏事法要を営む功徳によって、死者の安らかな成仏を願うものである。
回向は、自分から他に振り向けるということと同時に、他から自分に振り向けられるという面もある。
私たちは、他人から受けた親切はすぐ忘れてしまって、自分がしてあげたことばかり覚えている事が多い。人間はひとりで生きているのではない。気がつかなくても、多くの人の善意に支えられ生かされているという事実を忘れないようにしなさいということばでもある。
キーワード:縁起
因縁生起の略である。
主たる原因と間接条件である縁によって生じたものを意味している。仏教では、次のような表現をしている。
「これが存在すれば、あれも存在する。
これが生ずれば、あれも生ずる。
これが存在しなければ、あれも存在しない。
これが滅すれば、あれも滅する」
というように、すべては相互に依存し合って存在するもので、単独に存在するものはないということを示している。
サンスクリット語ではプラティーティヤ・サムウトパーダといい、互いに依存して生起するということだ。 たとえば、一本の花が咲いている。このためには、まず花の種子がなければならない。それが「因」である。しかし、種子だけでは花は咲かない。適当な水分、光、肥料などの条件がそろわなければ発育しない。その条件が「縁」である。
人間で言えば、いくらよい素質を持って生まれてきても、家庭環境や教育や友人や本人の努力や、さまざまな条件が整わなければ才能は花開かない。たとえ、ノーベル賞をとるほど成功したとしても、自分の才能だけではない。多くの「縁」の助けによって、今の自分があるのだという謙虚な考え方が必要であろう。
逆に、殺人などの罪を犯した人があったとしても、その人の責任だけではない。犯罪に追いやったさまざまな「縁」があったのであり、その縁を変えることができなかった私たち一人一人の責任でもあるのだ。
一般的には、「縁起をかつぐ」「縁起がいい」「縁起が悪い」「縁起直し」「縁起物」など使われているが、縁の生かし方しだいで、私たちの人生は、幸福にも不幸にもなりうるのだから、しっかりとした自覚を持って生きることが大事であろう。
キーワード:往生
私たちの住んでいる世界のことを娑婆世界(がまんする所)というが、それよりもすぐれた「極楽浄土」「兜率天」「瑠璃光浄土」「捕陀落山」などの仏・菩薩の国土に死後生まれ変わることを往生という。
浄土教では、「臨終の一念」といって、正しい信仰を持って死の瞬間に臨むことがたいせつだと教えている。だから、臨終の場において、正しい信仰を持ってないのを「往生際が悪い」と言う。そこから、どたん場になってあきらめの悪い事を言うようになったのである。
一般的には、閉口すること、どうしようもなく困り果てること。死ぬこと、あきらめておとなしくなることなどの意味で「往生する」と言っている。よりよい所に往って生まれるのだからいい意味なのだが、死のイメージと結びつき、あまりいい意味に使われていないようだ。
ともかく、人間は必ず死ぬのである。そのときにジタバタしてもおそい。日頃から、生きること、死ぬことは何なのか、深く考え、その自覚にもとづいた日常生活を送ることが、ほんとうの往生であろう。
2010.6.12 東松山店 杉田
参考文献「仏教と仏事のすべて」
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