仏教をよりよく知るため:その24
仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか
キーワード:仏陀(ぶっだ)
サンスクリット語のブッダの音訳で「目覚める」 「目覚めた人」という意味である。「如来」「覚者」「智者」などと意訳されている。
釈尊は三十五歳の時、菩提樹の下で、真理に目覚め(悟りを開き)仏陀となった。したがって、仏教では、本来仏陀といえば釈尊のことであったのだが、大乗仏教だは、釈尊一人ではなく、おおぜいの仏陀を想定するようになった。
すべての人は仏性(仏と成る性質)を持つとする考え方からである。
キーワード:分別(ふんべつ)
一般には「もう、いい年齢なんだから、分別をもちなさい」などと、いい意味で使われているが、仏教では、いい意味には使わない。
「分別」は、サンスクリット語のヴィカルパの訳で、推量的認識やまちがった判断のことで、仏教では、われわれ凡夫の智慧のことをいっている。それに対して仏の智慧は無分別である。
仏教では、分別に三種ありとしている。
1、自性分別(眼耳鼻舌身の五志識が対象を識別する働き)
2、計度分別(対象の差別を推量しはかる働き)
3、隋念分別(過去のことを追念する働き)
の三つだ。
人間は、何かを認識しようとするとき、どうしても、それを他のものと比較してしまう。頭がいいとか悪いとか、背が高いとか低いとか、美人だとかブスだとか、相対的な判断で物を見ているのである。
しかし、対象そのものは相対化することのできない絶対的存在であって、相対的な区別は単に人間の意識の中にあるにすぎない。
たとえば、この世に人間はあなたひとりしかいないとする。あなたは、自分が頭がいいとか、背が高いとか、美人だとか言うことができるだろうか。比較するものがないのだから、そんな発想すら、思い浮かばないだろう。実は、世界に人間が何十億いようが、一人ひとりの存在は相対化する(つまり分別する)ことのできないものなのである。
したがって、仏の眼、悟りの眼から見れば美人は美人として美しく、ブスはブスとして美しい(ことばの矛盾であるが)のである。仏教では、そうした物の見方を「無分別」と言って、たいせつにしていることを知っておきたい。
2010.7.16 東松山店 杉田
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