仏教をよりよく知るため:その21
仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか
キーワード:念仏(ねんぶつ)
仏様を心に念じることである。サンスクリット語ではブッダーヌスムリティで「隋念」と漢訳されている。
阿含経典においては、「念仏」は十念の一つに数えられた。念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天(天界をおもう)念体息、念安般(出入息を念ずる)念身非常、念死である。
中国において浄土教が大成されて、「口称念仏」が行われるようになった。「南無阿弥陀仏」の六字の名号を唱えることである。
阿弥陀仏の姿や名号、あるいは極楽浄土のありさまなどを心の中に思い浮かべて唱えるのである。
浄土教では、一心に念仏を唱えれば死後、阿弥陀仏の極楽浄土に往生できると説く。
キーワード:波羅蜜(はらみつ)
迷いの世界である此岸(この世)から理想の仏の世界である彼岸に到達することをいう。サンスクリット語ではパーラミターというのを音訳したことばで、意訳すると「究竟」「到彼岸」「度」などと訳されている。
さて、それでは、いったいどうしたら彼岸に渡ることができるのであろうか。
大乗仏教では、そのために六種の努力目標を掲げている。それを六度とか六波羅蜜という。
1、布施(惜しみなく施すこと)
2、持戒(規律を守ること)
3、忍辱(耐え忍ぶこと)
4、精進(努力すること)
5、禅定(精神を集中すること)
6、智慧(迷いを離れた大いなる知恵をもつこと)
の六つの実践特目である。この中の智慧をさらに四つに開いて十波羅蜜という場合がある。「方便・願・力・智」である。
大乗仏教では菩薩を理想とし、自分だけでなく、すべての人々を彼岸に渡そうというところに眼目がある。
この波羅蜜は、そのためのたいせつな実践行なのである。この徳目の特徴は、自分自身のことを考える前に、まず、周りの利益を考え、与えることから始まっている。現代人の考え方とは違い、徹底した利他行なのである。
しかし、他人の利益ばかり考えていると、自分が生きていけないではないか。まず自分の利益をきちんと確保して、それから、余裕があるとき人助けをしたほうがよい。そう考える人も多いだろう。西洋的個人主義ではそうかもしれないが、仏教の考え方は違う。
「自利利他一如」、つまり、他人の利益をはかることは同時に自分の利益だというのである。仏教は一方的な自己犠牲は説かない。それは、かえって自己満足に陥りやすいからである。だれだってお金に困っているときにポンと現金がもらえたら、うれしいに決まっているが、かといって、もし、その人が自分のために一文無しになって飢え死にしてしまった、とする。いい気分はしない。あと味が悪いというか、むしろ、自分にお金をくれないほうがよかったと思うだろう。
相手に精神的負担を感じさせるような施しは「布施」にならないと仏教では考える。
だからこそ「自利利他一如」でなければならないのだが、かといって、最初から他人の利益と自分の利益を半々に考えてすればいいかというと、そうではない。
仏教の教えは常に逆説的に響くのだが、自分の利益はいっさい考えず、手放しで他人の利益をはかったときに、初めて、それが、「自利利他一如」に成っているのである。
この布施行が六波羅蜜の第一番目におかれている意味をよく考えてみたい。
2010.7.6 東松山店 杉田
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