仏教をよりよく知るため:その4
仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか
キーワード:割愛(かつあい)
愛というと、美しいもの、好ましいものと考える人がほとんどだろう。
ところが、仏教は「愛してはならない」ととく。なぜか‥‥‥
それは、愛とは本質的にけっして満足することのない欲望であり、対象に対する執着であるからだ。
それは、まるでのどの渇いた人が水を求めてやまないようなものであるところから、これを割愛という。サンスクリット語ではトゥリシュナーという。「法句経」には、「愛より愁いは生じ、愛より怖れは生ずる。愛を超えし人には愁いなし。かくていずこかに怖れあらん」とある。
しかし、生身の人間にとって、愛を捨てて生きるなどということができるだろうか。妻や子を、親や兄弟を、親友を、やはり愛さずにはいられないのが、私たちだ。その愛のために、ときに苦しみ傷つけ合うことがあるのは、私たちもよく知っている。愛が同時に苦であることも知っている。だが、それでも愛さずにはおれない。
そうした人間の哀しさを深くみつめるとき、私たちはようやく一人一人の背負っている苦しみがわかってくる。そこに、やさしさや思いやりが生まれる。それが「慈悲」だ。仏教は、愛ではなく慈悲をたいせつにする宗教である。
キーワード:苦(く)
釈尊は「人生は苦なり」と説いた。仏教はそこからはじまる。
仏教では「生」「老」「病」「死」の四苦と「愛別離苦」(愛する者と別れる苦しみ) 「怨憎会苦」(怨み、憎む者と出会う苦しみ) 「求不得苦」(求めても得られない苦しみ) 「五蘊盛苦」(私たちの肉体と精神を構成している五つの要素の集まりを五蘊という。そのすべてが苦である) のいわゆる四苦八苦に分類している。
釈尊はこの苦からどうしたらのがれることができるかを追求するために出家し、修行したわけであるが、では、釈尊はどんな解決を得たのだろうか。
人間は苦しみから、どうやってものがれることはできない。その事実を受け入れるしかない。つまり、苦しみからのがれる方法はないとするならば、救いの道はただ一つ、苦しみからのがれたいという欲求を捨てることである。苦しみからのがれたいともがくから、よけい苦しみが増すのだ。苦しみを苦しみとして、あるがままに受け入れたときに、初めて、苦しみはやむ。
このあたりを、日本の江戸時代の良寛和尚も「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬのがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」と言っている。これが仏教の解決法である。
2010.6.14 東松山店 杉田
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