仏教をよりよく知るため:その3
仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか
キーワード:戒律
戒と律はもともと別のことばである。戒はサンスクリット語でシーラといい、規律を守ろうとする自発的な心の働きである。律はビヤナといい、罰則を含む他律的な規範をいみしている。
釈尊は最初から、戒律の条文を制定したのでなく、教団の中に不都合を起こすものがあるつど、それに応じて定められていった。このことを、「隋犯隋制」という。
戒には在家の戒と出家の戒がある。
在家の場合には一般的に次の五戒が与えられる。
一、 不殺生‥‥‥生き物を殺さない
二、 不偸盗‥‥‥盗みをしない
三、 不邪淫‥‥‥不倫をしない
四、 不妄語‥‥‥うそをつかない
五、 不飲酒‥‥‥酒を飲まない
出家には本来、男僧(比丘という)の場合は二百五十戒、尼僧(比丘尼という)の場合は三百四十八戒もの戒が与えられていたが、現在の日本の僧侶には、在家とほぼ同内容の戒しかなく、結婚し一般人と変わらない家庭生活を営んでいる。これは世界の仏教国の中で日本だけの現象である。
それはともかくとして、私たち一般人にとって仏教の戒とはどういう意味があるのだろうか。職業によってはどうしても守れないこともある。漁業や牧畜業の人は、やがて殺されることを知りつつ魚をとったり、肉牛を太らせるわけで、不殺生戒にもとる。医者がガン患者にガンではありませんよ、とうそをつくのは不妄語戒に犯しないか。結婚式の三々九度でお酒を飲むのはどうなのか。ラブホテルの従業員は不邪淫を破る手助けをしていることにならないか。
ユダヤ教やイスラム教の人たちが、現在でも厳格に戒律を守るのに対し、日本人は戒律に対する観念をほとんど持っていない。日本人特有のホンネとタテマエの使い分けがここでも見られるわけだが、こうしたあいまいさが、国際的には不気味な国民と見られる一因にもなっている。
日本人は自分の信念を持たなくとも、周りがするようにしていればよいという傾向がいまだに強いが、これからの国際社会になると、自分はどういう宗教的信念、行動基準を持っているかをはっきりさせる必要が出てくるだろう。
戒律をどう受け止めるかは、私たち一人一人の生き方を確認するための、一つのリトマス紙でもある。
キーワード:加持祈祷
一般的には現世利益を願っておはらいをしてもらうことを加持祈祷といっているが、厳密には、加持と祈祷はとは意味がことなる。
加持は「お加持する」ともいうが、サンスクリット語のアディスターナの訳で「所持」とか「護念」という意味である。
真言密教では、手に仏の印契「指を組み合わせて作るサインのようなもの)を結び、口に真言を唱え、心も仏の心境になるようにすると、そこに仏の側から、行者を仏の位に導く力が加わると説く。
祈祷はこの加持の状態に自分を導き入れるために祈ることである。
したがって、加持祈祷とは、密教の行者が仏と一体になる(即身成仏)ために、真剣に仏をまねて行う修法なのであるが、どうも一般には、迷信くさいまじないのように受け取られている向きもある。
しかし、これは迷信ではない。たとえば、あなたがある作家のファンで、自分もいつかは彼のような小説家になりたいと真剣に思っているとする。するとおそらく、あなたは部屋に彼の著作を並べ、写真を飾り、彼が使っているのと同じ種類の万年筆を買ってきたり、彼のしゃべり方をまねてみたり、彼が好きだと言う銘柄のタバコを吸ったりウイスキーを選んだりするに違いない、つまり、まず目ざす者のやることなすことをまねることから始まって、やがてその道に入っていくことは一般によくあることである。
必ずしもそれで希望がかなえられる保証はないが、それを愚かな行為だと笑うことができるだろうか。その作家はあなたに何もしていないにもかかわらず、あなたの生き方に大きな力を与えているし、実際、彼に引っぱり上げられているのだといってもよい。それが加持という力である。あとは、あなたがどこまで努力を持続できるかである、人間だれしも心弱くなることもある。そのときは、祈ることが勇気を与えてくれるだろう。仏教でいう現世利益とか、奇跡とは、このようなものである。
加持祈祷は迷信ではない。
2010.6.13 東松山店 杉田
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