仏教をよりよく知るため:その1

仏教をよりよく知るため:その1

2010.06.11
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仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか

 

 キーワード:阿羅漢

 

十六羅漢像や五百羅漢像を拝観したことがあるだろう。どの顔も、なんのとらわれもない、自由で闊達な雰囲気をかもし出す。昔から亡くなった親や小の顔を羅漢像の中にさがし求めたという。

この「羅漢」と「阿羅漢」は同じ意味だ。羅漢は阿羅漢の「阿」を省略した形である。サンスクリット語のアルハンの音写語で「供養を受けるに値する人」を意味している。仏の敬称の中に「応供」というのがあるが、この阿羅漢をさす。この尊称は、仏教だけでなく、他のインド諸宗派でも聖者の意として用いられた。特にジャイナ教では、アールハタとも呼ばれている。

大乗仏教では、菩薩を理想像とするため、阿羅漢は小乗仏教の聖者をさして使われている。

つまり、菩薩は自分だけでなく、他の人々をも悟りに導くのを修行としているのに対し、阿羅漢は自分だけの悟りを求める独善的な修行者であるとして、批判したのである。しかし、いくら大乗仏教の理想はすばらしいといっても、ろくに修行もしないで、他人を救うことはできない。

いっしょに溺れてしまうことにもなる。世の中にも、やたら他人にお説教したり世話をやきたがる人が、かえって、それが相手のためにはならず、自己満足に終わっているケースも多い。そのあたりを禅宗では、「脚下照顧」、(自分の足元を見つめなさい)と言って注意していることも知っておきたい。

 

 

キーワード:因果

 

物事を生じ起こす原因と、その結果のことである。

仏教では、「因果応報」という考え方があって、すべてのものについて、過去・現在・未来の三世にわたって常に因果の法則が支配しているという。善因には善の果報があり、悪因には悪の因果があるというのである。一般に「因果」ということばは、どちらかといえば、悪因悪果というような悪いほうの意味にとられ、宿命論のような感じをいだかせている。「因果なやつ」といえば悪いことばかり起こす人という意味だし、「因果を含める」といえば、しかたないものとしてあきらめさせることである。

「親の因果が子に報い」、「因果な商売」などとどうも「不幸な状態」の響がある。

しかし、本来、因果は宿命論ではなく、今現在の行いによって未来が変わっていくのだから、積極的に今を生きなさいと教えるものである。毎日、夜おそくまでつきあいで飲み歩いたサラリーマンが、ついに病気で倒れたとする。それを運が悪いなどとグチをこぼしても始まらない。健康でいたければ、健康でいられるように一日一日を大切に過ごしなさい。今現在のあなたの行い(因)が明日を決定(果)するのですよ。というのが因果の教えである。

 

 

2010.6.11 東松山店 杉田

 

参考文献「仏教と仏事のすべて」

 

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